帯広・十勝にヒトが住み始めたのは、今から約3万年前の旧石器時代のことでした。その後、1万4千年ほど前には土器が作られるようになり、縄文時代が始まりました。さらに2500年ほど前には続縄文時代、1300年ほど前には擦文時代へと移行し、やがてアイヌ文化期が始まりました。 このような大昔の人びとの生活や文化のようすや移り変わりは、遺跡とそこから見つかる土器や石器、住居跡や墓跡などを調べることでしか明らかにすることが出来ません。遺跡は十勝管内で1082カ所、帯広市で59ヵ所(平成23年4月現在)の所在が明らかですが、未知の遺跡がこの数倍はあるものと考えられます。 帯広市では昭和30年代の前半から小規模な発掘調査が始まりましたが、昭和58年以降は各種の大規模な開発行為に伴う調査が平成20年まで毎年のように行われ、先史時代の帯広・十勝のようすが少しずつ明らかになってきました。 帯広百年記念館常設展示室では、帯広・十勝の遺跡から出土した石器・土器などの実物資料と解説パネルで先史時代のようすを解説、百年記念館埋蔵文化財センターでは帯広市内の遺跡の発掘調査で出土した土器・石器などの遺物の保管・活用を行っています。 このページでは、発掘された帯広市内のおもな遺跡のようすを紹介しています。 |
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帯広のおもな遺跡 Index | ||
若葉の森遺跡 道内最古の石器群が出土 |
川西C遺跡 2万5千年前のベースキャンプ |
空港南A遺跡 旧石器時代の大規模遺跡 |
暁遺跡 旧石器時代の石器作り工房 |
八千代A遺跡 9千年前(縄文時代早期)の大集落 |
大正遺跡群 道内最古の土器が出土 |
宮本遺跡 縄文時代のシカ狩用落とし穴 |
チョマトー遺跡 平成17年度調査の成果 |
中村遺跡 平成20年度調査の成果 |
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発掘された十勝の遺跡 | 縄文土器ギャラリー |
帯広のおもな遺跡 写真はクリックすると拡大します | ||||||||||
八千代A遺跡 『9千年前の集落遺跡』 | ||||||||||
■所在地:帯広市八千代町基線194ほか
発掘のようすを紹介したパネル、遺物などは百年記念館常設展示室で展示・公開しています。 |
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暁遺跡 『旧石器時代の石器作り工房』 | ||||||||||
■所在地:帯広市西8・9条南12・13丁目周辺 ■遺跡の概要:1961年から1989年の間に6次にわたる発掘調査が実施されています。初期の調査では、この地域で最古と考えられた底にホタテ貝のあとが付くことを特徴とする土器(約9千年前)が出土し「暁式土器」と命名されました。この土器と細石刃が一緒に出土したと報じられたこともあり、全国的に注目されました。 近年の調査では、土器が出土した地層よりも下の地層から旧石器時代後半期(約1万6千年前)の遺物が大量に出土し、土器と細石刃は時期を異にすることがわかりました。 出土品は帯広市指定文化財に指定され、主要な資料は百年記念館で展示・公開しています。 【旧石器時代の調査】後期旧石器時代後半期に特徴的な細石刃(さいせきじん)と呼ばれる石器が8千点以上も出土しています。当時、この遺跡では石器製作が集中的に行われていたものと考えられます。出土した石器類は、質・量とも全国的に見ても豊富で、当時の石器製作技術や広域での石材獲得活動のようすなどを知る上で貴重な遺跡として評価されています。 【縄文時代の調査】約9千年前の「暁式土器」期を主体に、約2千500年前の縄文時代晩期までの遺物が出土しています。「暁式土器」期では、第4地点と呼ばれる遺跡西側の調査地点から竪穴式住居2棟、墓と思われる土坑1基などの遺構が出土し、集落が営まれていたことがうかがわれます。 |
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川西C遺跡 『2万5千年前のベースキャンプ』 |
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■所在地:帯広市西14条南40丁目周辺 |
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空港南A遺跡 『旧石器時代の大規模遺跡』 | ||||||||||
■所在地:帯広市泉町 ■遺跡の概要:帯広空港周辺には支笏火山の火山灰(約4万年前降下)や恵庭岳の火山灰(約2万年前降下)によって形成された「古砂丘」地形が残されており、この上に空港南A〜C・上似平・泉町A遺跡など旧石器時代の遺跡が数多く分布しています。 空港南A遺跡は古砂丘の南向き斜面に残された遺跡で、昭和57年に行われた帯広空港整備に伴う試掘調査で存在が明らかとなりました。この調査では恵庭火山灰の下層からは石刃石器群など、上層からは細石刃石器群や有舌尖頭器石器群など時期の違う石器群が層位的に出土し、旧石器時代の調査・研究上たいへん貴重な遺跡と考えられます。この遺跡は幸いにも主体部が手付かずの状態で保存されています。主要な資料は百年記念館で展示・公開しています。 |
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若葉の森遺跡 『北海道最古の石器』 |
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■所在地:帯広市西16条南6丁目周辺
【縄文時代の調査】縄文時代前期〜中期(6千〜4千5百年前)の土器や石器などの遺物56,379点、小型の住居跡1基(写真5)、落し穴1基、土坑(穴)、礫の集中9ヵ所などの遺構が出土しました。土器は「若葉の森土器群」と呼んでいる前期後半〜中期前半の平底土器群です(写真6)。この遺跡からは植物質の食料加工に使われた石器類(写真8)が多く出土し、この材料とするために持ち込まれたと考えられる礫が多量に出土したことから、当時の温暖な気候を背景に、植物質食料を集中的に加工していたものと推測されます。
出土した遺物は埋蔵文化財センターで収蔵・公開しています。 |
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大正遺跡群 『北海道最古の土器が出土』 | ||||||||||
■所在地:帯広市大正町 |
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宮 本 遺 跡 『縄文時代のシカ狩用落し穴』 | ||||||||||
■所在地:帯広市西20条南6丁目 ■遺跡の概要:市街地の西部、西20条南6丁目の高台にある宮本遺跡は、1983〜85年に自由が丘団地造成に伴う発掘調査(第一次調査)と、1992・93年に国際研修センター建設に伴う発掘調査(第二次調査)が行なわれ、縄文時代前期後半〜中期(約6〜4千年前)を主体とした土器や石器などの遺物8万5千点あまり、住居跡や落し穴などの遺構が出土しました。 二次にわたる調査では、植物質の食料加工に使われた「すり石」が900点以上も出土しており、宮本遺跡の5千年前ころの性格を示唆しています。 【落し穴】一次・二次調査合わせて19基の落し穴が出土しました。いずれも形は溝状で、長さ3m前後、深さ1.2〜1.5mのものです。このタイプの落し穴は、シカを捕獲するために、シカの通り道などに作られたものと考えられ、道内では前期〜中期に多く作られてたことがわかっています。 【土器】宮本遺跡の第一次調査出土した土器は、それまで不確実であった前期前半と中期の間を埋める資料として注目され、「宮本式土器」と名付けられ、これ以後、各地の調査で出土する前期後半(約5千年前)に位置する土器の指標とされています。 |
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チョマトー遺跡 | ||||||||||
■所在地:帯広市西15・16条北1丁目 ■遺跡の概要:チョマトー遺跡は、帯広川の流路移動に伴って形成された三日月湖(通称:チョマトー沼)の南岸に立地する縄文時代の遺跡で、平成17年度に市道改良工事に伴う発掘調査が実施されました。 遺物はTa-c火山灰直上から晩期(約2千500年前、幣舞式相当)の土器、この下位の黒色土からは縄文時代後期(約3千5百年前、北筒式相当)、中期(4千5百年前、モコト式相当)、早期終末(約7千年前、東釧路W式相当)の土器やこれに伴う石器などの遺物2万点余と、土坑・焼土などの遺構が出土しました。 |
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中 村 遺 跡 | ||||||||||
■所在地:帯広市西10〜12条南4・5丁目周辺 ■遺跡の概要:中村遺跡は帯広川の右岸に立地する縄文時代〜続縄文時代の遺跡で、最初の発掘調査は1959年(昭和34)に行われました。2008(平成20)年度には市道改良工事にともなう発掘調査が1,000uについて行われ、縄文時代中期・晩期の土器や石器が1万点あまりと、石器製作した跡と考えられる「剥片集中」1カ所などが出土しました。 |
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遺跡の情報などをくわしく知りたい方は、百年記念館埋蔵文化財センターへお問合せください |
土器が出土したようす
(帯広市大正7遺跡)