特別企画展『晩成社展』特設ページ

【ご来場ありがとうございました!】

速報値で4,772名の方にご覧いただきました。ありがとうございます。(R4.9.22)

(担当者が作った消しゴムはんこです)

*当特設ページはこの記事を持って終了し、9月いっぱいで常時公開は終了しました。現在はリンク先からのアクセスのみ可能となっています。


【あと3日でラストです!!】

本日もたくさんの方にご覧いただいております!

ぜひいらしてください。(R4.9.17)


【晩成社展を紹介していただいているページ】

大変ありがとうございます。

Yahoo!creatorsのなかで紹介いただいています。

https://creators.yahoo.co.jp/islanderrento/0100303849

十勝毎日新聞 Chaiでじ でも紹介していただきました!

リンク先の「ピックアップ」の中で紹介されています。

https://kachimai.jp/chai/index.php

 


【晩成社展これは見逃せない!】⑥最終回

『この土地をください』

晩成社は十勝に来る前に2度調査を行なっています。2度目には十勝に目標を定め、以下の書類を札幌県令などに申請しています。

「帯広市河西郡オベリベリの図に書いたあたりの土地を自分の土地として拓かせてほしい」という申請ですが、左の方に地図がついていますね。拡大すると以下の通り。

 

とても雑駁にみえます。これは当時政府もここを測量しておらず、正確な地図がなかったせいもあるのかもしれません。未測量状態ですから、行政はこの申請を認めませんでした。

さて、この地図はどこを指しているのでしょう。 北に帯広川、南に札内川、東に十勝川(?)とありますね。これらの川に囲まれた地域ということになります。これを図示すると・・・・

ほぼ帯広市市街地の中心部となります。ざっくりいいますと、今のJR線から北側が低湿地、南側が段丘の上の比較的乾燥したところになりますが、どちらも広く平坦ですね。たしかに、いい場所を狙って入植しようとしたことがわかります。実際の入植地はこの縦の黄色い線(大通り)よりも東の土地になります。ぜひ展示で確かめてくださいね。(R4.9.6)


【晩成社展これは見逃せない!】⑤

番外編 『まるで人間パソコン??』

今回は資料の中身よりも「文字」に注目しました。まずこれをみてください。この部分は小学生必見です。

皆さんは意外とここを見落とされているようで、気がつくと「えっ!」と驚かれていますね。この書類の「請教」とは「教えを請う」つまり「入学希望」と言うことですね。そして自分の名前と年齢が書いています。そう、「依田勉造」は勉三のことで「七」とは年齢。彼は7歳でこの字を書いていたのですね。「三」と「造」はその時々で使い分けていたようです。この時は難しいほうの字を書きたかったのでしょうか。隣の人の字がすごいですからね。

大人になってからの勉三の字は綺麗で読みやすいと定評があります。展示物を読んでみましょう。

読めるところだけ拾ってみます。最初の行から、「……不動堂に小休止し試験場を案内して帰ル11時30分なり(唐素?)南瓜(カボチャ)等を勧め酒を飲む茄子の油味噌、菜豆の胡麻ヨゴシ、なり互いに酔って余少し横臥す小眠す…」 

いかがでしょう?ブログ管理人は古文書は読んだことがありません。それでも十分当日の光景はよみがえって来ますね。皆さんも挑戦してみてください。意外と読めますよ。

この備忘は1巻だけで15万文字も書かれていることが展示で述べられています。それが十数巻もあるのですからパソコンに慣れてしまった私たちにとっては驚きです。

しかし……字だけで言えばもっと細かい資料を展示しています。それは鈴木銃太郎の手紙です。遠目に見るとまるでワープロの印字のようです。

非常に細かいですね。14〜16ポイントくらいでしょうか?拡大してみます。

右ページ中央あたりの行、「……航海入賞を始とし米噌(米、味噌?)は勿論農具…」とこれまた勉三に負けず読みやすい字です。まるでパソコンのようと言いたくなりますが、むしろ機械の方が人間に追いついたのかもしれないと受け取ることもできますね。

このようにとても読みやすく、読むと晩成社との距離がすこし近くなった気がしますので、是非読むことにチャレンジしてほしいと思います。読みたい部分を一旦スマホで撮って、拡大しながら読むといいですよ。(R4.9.3)


【晩成社展これは見逃せない!】④

第4回『晩成社はブラック企業だったのか??』

画像は依田勉三がいとこの土屋準次へ送った手紙です。晩成社で雇って欲しい人の紹介があったので、勉三から労働条件を知らせたもののようです。

内容は画像のとおりで、書記(事務員)として働く場合、ひと月の休みは3日。月給15円。書記の他に農場の仕事もやる・・・というものです。どうでしょう。大変だと思いますか?もしかしてブラック?

しかし農場だけの従事者には給料はなく、事務員には給料があったようです。また、普通の農業ではなくて「初の組織的開拓」をおこなった会社ですので、他の開拓団体と比べたら良い待遇であった可能性もありますね。

大正時代の1円の価値は根拠によりさまざまです。今の1000円から4000円くらいの幅があります。当時の学校の先生の給料は50円くらいですが、当時と今では偉さが違いますから単純には比較できません。

これは結論が出ない問題でしょう。当時はスマホ代や健康保険料、ガゾリン代によって日々消耗していくわけではないですし、当初はお金がかかる娯楽も少なかったと思います。大切なことは郷里への仕送りだったかもしれません。なによりも当時の人たちの「働く」「生きる」ことに対する意識は今と大きく違うのでは?と想像できます。そうするとお金の価値、働くことの価値は今と昔で比べにくい部分がたくさんあると思えます。

今と昔のさまざまな価値をくらべても、結論は得られにくいですが、その過程でいろいろなことに気がつくことができますね。これらの歴史を掘り下げるときの重要な材料になるでしょう。 (R4.8.26)


【晩成社展これは見逃せない!】③

第3回『依田勉三像のネクタイ』

今回は「依田勉三像」です。文書の類が多い今回の展示の中で、数少ない立体物です。今回の展示では晩成社が「歴史」となっていった過程の出来事として、像を紹介しています。

像としてのオリジナルは、中島武市が依田勉三の開拓精神を市民に伝えようと昭和16年6月に建て、その2年後に金属供出のために失われ、やはり中島氏の発意によって、昭和26年7月に再建されたもので、これは画像で紹介しています。

このモデルはみなさんお馴染み?の「晩年の依田勉三」。このとき起立して撮影したものがあり、「初代」の銅像がデザインされたようです。

時々質問をいただきますが、この「みの」の材料はなんなのでしょう。イネやスゲ笠のスゲでは歯の幅が狭すぎ、ヒエやアワは葉幅が広いですが、葉身がやや短いと思われ、最も近いものは「ガマ」のように思われます。また、これは勉三の持ち物なのか、カメラ屋の小道具なのか?真相は不明ですが、つい考えてしまいます。それから、この下に着ている服装が洋装のようであり、襟や袖口からのぞくシャツの柄も派手な柄のように見えます。そして、ネクタイはしていませんね。

中島公園の銅像にも襟(えり)はありますが、ネクタイはありません。

ではその後に作られた像はどうでしょう。

この二つの画像は別な個体です。それまでなかったネクタイが登場しています。比較的新しいものは皆ネクタイをしめています。なぜなのでしょう?この謎をどのように解いたら良いのか、現在のところは残念ながら分かりません。当時をご存知の方の証言があれば良いのですが。

また、「初代」像は体が正面を向かず、斜めに構えていますが、のちの像は皆正面立ちです。同じものをモデルにしていても、だんだん変わっているのです。ほかにも鍬(くわ)の形や顔つきなどに注目していくと、いろいろな発見があります。

その発見は、たいして大きな意味があるわけではありません。しかし、私たちはしばしば、歴史を紐解いていく時、時代が進むにつれてかなり変化して伝えられている「事実」があると気付きます。ですから、このような像を見るように、事実を客観的に比べて語ることは歴史を見る練習になるかもしれません。 (R4.823)


【晩成社展がニュースで紹介】

『晩成社展』がニュースで紹介されます。

本日8月19日 NHKニュースで18:40ごろ放送予定です。


【晩成社展これは見逃せない!】②

☞ 『晩成社展』でこれを見逃したらもったいない!おすすめ史料を紹介します(全5回の予定)

第2回『税金のおかげでわかるコンデンスミルクの製造法』

 画像の文献は、晩成社の事務職員が税務署に提出した書類の控えです。コンデンスミルクの材料である砂糖は、購入時に税金がかかります。しかし、砂糖を材料に加工品を製造して売るとその税が還付されます。この書類は還付申請のために、コンデンスミルクの製造法を記したものです。

 そのおかげで私たちは、当時のコンデンスミルクの製造法を知ることができるのです。

 「新鮮なる全乳及び脱脂粉乳を濾過し生乳重量の12ないし13%のショ糖を加え、摂氏約80度にて30分間煮沸殺菌し、再び濾過し更に二重鍋に入れ・・・・」と読めますね。


【晩成社展これは見逃せない!】①

☞ 『晩成社展』でこれを見逃したらもったいない!おすすめ史料を紹介します(全5回の予定)

第1回『依田りくの手紙』

 依田りくは依田勉三の最初の妻です。りくに関する資料はいままで紹介されたことがない貴重なものです。土屋家はりくの兄が養子に入った家であるため、この手紙が大切に保存されていました。

アップの画像で、宛名の横に小さめに書いてあるのは「無事」という言葉で、手紙がとどいて開封までの間の先方の気持ちを思いやったものでしょう。これらの手紙は、晩成社の主要な人物以外の存在をよりリアルに感じさせてくれます。

 

【松崎町について

今回の展示にあたり、静岡県松崎町の方々には、晩成社に関する多くの貴重な史料を借用させていただくなど、大変お世話になっております。

昨日来、松崎町を含む多くの地域に豪雨による水害が発生し、避難を余儀なくされている方も数多くいらっしゃるようです。皆様に心からのお見舞いを申し上げるとともに、これ以上の災害が重ならないよう、おいのりいたします。(特設ページ管理人)

(R4.8.14)

【「晩成社展」開催中です

手前の文献コーナーでは、晩成社「備忘」のコピーを読むことができます。

【依田勉三翁と一緒に写真が撮れます

等身大に近い写真パネルの横に椅子が置いてあり、隣に座って記念撮影ができます。

展示担当者はやや疲れが見えているようです。(R4.8.11)

 

【看板立つ!

これはロビー用看板

外用看板は南北玄関に立っています。

【設営追い込み!

設営完了が見えてきました。最後の作業は(片付けを除けば)ライティングです!(画像は未セッティングの状態)。スポットライトが点灯すると、展示もぐっと引き締まります。(R4.8.11)

【企画展開催告知動画公開します(R4.8.10)

 

【設営中2

そこそこ進みました。午後からは実習生が来るので作業予定です。(R4.8.10)

【設営中】

大きな展示の場合は特に、初めの方はなかなか進まないように見えます。一つ一つを展示物の姿に整えていき、それらの数が溜まったら、ある日突然クライマックスを迎えるような感じ。準備中なので照明も少し薄暗い中での作業です。

 


【設営開始】

重く大きな台やケース、パネルを先に持ち込み、展示の骨格を決めていきます。


【特設ページ開設】

帯広市開拓140周年・市政施行90周年記念事業 
帯広百年記念館特別企画展「晩成社展」の紹介ページです。

残された様々な資料から、帯広・十勝開拓の先駆者「晩成社」「依田勉三」の活躍をあぶりだします。

令和4年8月13日〜9月19日までの開催です。このブログではその準備から開催までの流れを紹介します。 (R4.7.20)


【史料借用のため松崎町へ】

晩成社の資料は十勝だけではなく、依田家のある静岡県松崎町にしかない貴重な史料もあります。開拓事業が松崎町との結びつきの中で行われたことを実感できるものになると思います。そしてこの写真の中に、ポスターデザインに生かされたものがありますので、探してみてくださいね。

松崎町では、十勝の暑さとはちがう濃密な空気に触れることもできました。(R4.7.12)